明治4年(1871)8月9日、明治政府が布告した「散髪脱刀令」に、徳之島町亀津の人々が即対応したということで「亀津断髪」と言われています。江戸時代の武士の時代には、人々は丁髷(チョンマゲ)、今のお相撲さんのような髪の毛をしていました。東京の人たちでもまだ髪の毛を切る人は少なかったのに、亀津の人たちは新しい世の中になったので、すぐ髪の毛を切ったのです。これは「良いことは進んでしよう。積極進取(せっきょくしんしゅ)」ということでやったと言われ、今も亀津小学校や亀津中学校の校訓や教育に生かされています。ぜひこの精神を引き継いでりっぱな人になってほしいと願っています。
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