現在、徳之島の個人経営の黒糖製造工場では黒糖づくりが行われています。そのほとんどが大型工場と同じような製造工程ではありません。
黒砂糖は江戸時代には「黒ダイヤ(黒ダイヤモンド)」と言われるぐらい貴重な物でした。理由は砂糖は料理に欠かすことのできない物だったからです。今でも味の素などの調味料やジュース・おかしなど、数多くの食品に利用されています。国内ではその砂糖が取れるのが奄美諸島や沖縄だったのです。
ところで黒砂糖と言えば、昭和36年頃までは大半の家々で黒糖づくりの光景を見ることができました。作られた黒砂糖は全国各地に売られて行きました。
現在の黒糖づくりとこの頃の黒糖づくりと大きく違うのは、サトウキビを絞るところが機械化したところだと思います。昭和36年頃の大半は牛や馬にクンマ(歯車式でしぼる道具)を回させて、サトウキビを絞っていました。その牛や馬を休ませないように、後ろから追うのが、子供たちの手伝いでした。他人の家の牛を追うこともあり、お土産に「たますゐ(tamaswi 牛のフンぐらいの砂糖のかたま)」 をもらって帰るのが楽しみでした。
今でも懐かしい味として思い出すのは、黒糖を作る過程でできる「ガンザタ(水あめのような砂糖)」をもらって食べるのがとても大好きでした。「ガンザタ」はそんなに量もできないので貴重でした
。と言うことで、今回撮影終了後に、「ガンザタ」をもらって食べましたが、とてもおいしく、昔の光景とあの頃の味を思い出し、懐かしく思いました。
(お断り) この撮影場所は3月10日未明に火災に合われた伊仙町犬田布の徳南製糖工場(南郷光枝さん)での黒糖づくりの様子で、2月5日に撮影したものです。
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