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将兵・船員等(3,657名)を乗せた貨物船「富山丸」が沈む岬! (H26.10.27更新) 行事一覧へ |
昭和19年(1944年)6月29日(木)、早朝午前7時25分、三菱長崎造船所で建造され、沖縄本島防備強化への増援に向かった貨物船「富山丸(総トン数:7,089トン、全長:135.64m)」は、この「なごみの岬」の碑の後方海上2カイリ(南東約37キロの地点)を航行中、アメリカ潜水艦「スタージョン」が発射した魚雷に船首や機関部を命中させられ、燃料のガソリン(ドラム缶1,500本)に引火し、瞬く間に沈没させられました。この時、脱出する間もなく、富山丸とともに将兵・船員等3,657名(3,704名?)の尊い人命が失われました。この死亡者数は、一隻の船によるものとしては「タイタニック号」や、翌年の戦艦「大和」の沈没よりも多く、当時としては第一級の惨事でした。この惨事により戦死した方々の霊を偲び昭和39年(1964年)6月29日(月)に、ここ徳之島町亀徳「なごみの岬」に慰霊塔が建立されました。
台風19号の爪痕を撮影して歩く中、ふと徳之島町亀徳にある「なごみの岬」を思い出し、行ってみました。その様子などを掲載します。
【追記】
平成16年6月29日(火)に、この「なごみの丘」で「60周年」慰霊祭が行われました。あれから10年、今年で「富山丸」の惨事から70周年を迎えました。遺族の方も高齢になり、今後は遺族の方の参加する中での慰霊祭開催が難しいと言われております。
これを機に、私が撮影保存している60周年慰霊祭の全写真を特集で公開します。多くの方に見ていただきたいと考えています。 ⇒更新サイトはこちら
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写真1
位 置
Google Earthより加工
亡くなられた方の、御芳名を、刻んだ、石碑(方言:もーりしゃんちゅーぬ、なー、ふたん、いしじゐん)
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慰霊塔の碑
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慰霊塔(寺田勝志書)
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「安らかにお眠り下さい(方言:よーりぐわ ねゐんでゐ たぼーれゐ)」の石碑
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富山丸の石刻画
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