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第50回戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭、伊仙町犬田布岬で開催! H29.4.7 (H29.4.8更新)  行事一覧へ
 平成29年4月7日(金)、13:40~16:00、曇り空の中、伊仙町犬田布岬で、「第50回戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士慰霊祭」が開催されました。
 今年は50回記念ということで、昭和44年4月7日の慰霊塔建立一周年記念式典の高松宮様同妃両殿下のご臨席に続く、「彬子女王殿下」のご臨席を賜っての慰霊祭開催で、ご遺族をはじめ来賓など多数の方々がご参列致しました。
 「慰霊祭」は13:40に参加者全員が起立で、「彬子女王殿下」をお迎えして開始されました。続いて13:44に海上自衛隊のP-3C機が参列者の上空を飛来(東側から西側へ)、13:45に西犬田布婦人会が「ああ犬田布岬」の歌に合わせて踊りを披露しました。そして13:50に「祭典開始の辞」があり、「一同拝礼」、、海上自衛隊佐世保音楽隊の演奏での「国旗・軍旗掲揚」、義名山神社神主の「修祓の儀、降霊の儀、祝詞奏上」と続きました。
 次に大久保明町長が、「祭文奏上」で戦没将士の御霊への慰霊と恒久平和への祈りを述べ、その後、全参列者で戦没将士の御霊に「黙祷」を捧げました。続いて、海上自衛隊の護衛艦「あしがら」「さわぎり」2隻による慰霊塔近くの海上での汽笛を伴った「護衛艦慰霊航行」(東側から西側へ)がありました。そして、遺族代表・月本陽藏様の「遺族挨拶」、彬子女王殿下の「慰霊のことば」と続きました。
 その後、次々に来賓の方々が「慰霊のことば」を述べました。述べられた方は、「参議院議員:尾辻󠄀 秀人様」「衆議院議員:金子 万寿夫様」「鹿児島県知事:反田園 訓様(代読)」「全国町村会長:藤原 忠彦様」「海上幕僚長:村川 豊様」の方々でした。次に、参加者の「玉串拝礼」、稲 隆仁伊仙町副町長の「祭電奏上」、参列者の「献花」、「浦安の舞」「昇霊の儀」、海上自衛隊佐世保音楽隊の演奏での「国旗・軍艦旗降下」と続き、最後に「閉会の辞」で終了しました。
 ところで、世界最大の戦艦「大和」は、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)4月7日、14時23分に、特攻艦隊として沖縄への出撃途中で、アメリカ軍の猛攻撃を受けて撃沈しました。この時の大和と運命を共にした特攻艦隊戦没将士は、伊東整一海軍大将他、3,737柱と言われています。
 大和の沈没地点は犬田布岬の西方約370Km、正確には「北緯30度43分・東経128度04分」で、長崎県男女群島女島南方176km、「鹿児島県枕崎市の西南西約 200km」の水深345mの海底に沈んでいるそうです。伊仙町では、全国的な募金活動と高松宮殿下の揮毫を戴き、昭和43年(1968年)に合掌の形をした「慰霊塔」(高さ24m、大和の艦橋の高さ)を犬田布岬に建立しました。そして毎年慰霊祭を行い、恒久平和を誓ってきました。今後も、この犬田布岬にそびえたつ戦艦大和慰霊塔で慰霊祭を開催し、戦没将士の御霊に不戦と恒久平和を誓うことが、日本の繁栄と日本国民の幸福に繋がることを、後世の方々に伝授していく必要があります。

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