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井之川岳の麓で、闘牛の稽古に出会う!  (H27.9.15更新)   行事一覧へ

 平成27年9月14日(月)、久しぶりに井之川岳のテレビ塔まで写真撮影に出かけました。
 その際、井之川岳登山道の途中で、闘牛用のトラックを見つけました。その先には、闘牛が土手を突く稽古のために木につながれていました。そばには青年が6名程いて、闘牛の様子をながめていました。
 話しかけて尋ねると、闘牛は950Kg程の体重で、まだ場所(闘牛場)に出したことがないと話していました。
 このような稽古をさせ、闘牛として育て、デビューさせるということです。この牛もいつかは闘牛場で闘う運命にあります。現在、伊仙町目手久には屋内闘牛場「なぐさみ館」も完成し、今まで以上に闘牛大会が盛んになってきているように思います。

 ここで、徳之島の闘牛大会を紹介いたします。

【徳之島の闘牛大会】 ※闘牛大会 ⇒ 徳之島の方言では、「なくさみ、又は、なぐさみ」と言いいます。

1 闘牛大会の始まり

 徳之島の闘牛は、江戸時代の始め(初期、西暦1600年頃)、今から400年以上も前から、行われたと言われています。
 その頃、牛は稲作などの農耕牛として飼われていました。農業が一段落すると、牛が本来持っている本能(牛が生まれる前から持っている素質)である闘い(たたかい)が「なくさみ(闘牛)」になり、自然発生的に闘牛大会として定着したということです。娯楽のない昔は、闘牛大会が唯一の楽しみということでもありました。そのため、闘牛大会は「なくさみ、又は、なぐさみ」と言い、慰み、慰め(心をいやす・心をなごませる)として、人々を楽しませたということです。

2 闘牛大会の発祥地(始まった場所・土地)と、闘牛大会での「掛け声」の変化

 発祥地は、伊仙町八重竿(やえぞう)だと言われています。その証しとして、牛の公園があり、牛のモニュメントが飾られています。
 「掛け声は」、最初は「ヤエゾー・ヤエゾー・ヤエゾー」と、地名そのものでした。それが「ヤエゾ・ヤエゾ・ヤエゾ」になり、次に「ヤイゾ・ヤイゾ・ヤイゾ」と変化し、さらに「ヤイド・ヤイド・ヤイド」に変わり、現在の「ワイド・ワイド・ワイド」になったということです。
 私の小さい頃、現在の伊仙町義名山神社近くの道路沿いにあるため池「テーゴーイキ」で闘牛が行われていて、「ヤイゾ・ヤイゾ・ヤイゾ」と言っていたのは記憶に残っています。

 
 ●掛け声の変化: ヤエゾー・ヤエゾー・ヤエゾー ⇒ ヤエゾ・ヤエゾ・ヤエゾ ⇒ ヤイゾ・ヤイゾ・ヤイゾ ⇒ ヤイド・ヤイド・ヤイド ⇒ ワイド・ワイド・ワイド

3 闘牛大会での踊りの変化

 闘牛大会では、闘う前の必勝祈願の踊りと、戦い終わって勝った時の踊りが、今でも必ずあります。指笛を鳴らしながら踊ります。なお昭和40年代頃から、トランペットや起床ラッパを鳴らして踊るようにもなりました。
 この踊りには特徴があります。両手は肩よりも上の位置に挙げ、手の平を反(かえ)すようにして踊ります。これは、徳之島のお祝いでも踊られる「六調」に似ています。
 奄美大島や徳之島では、今も、六調はお祝いの閉めとして必ず踊られます。これも闘牛と同じく江戸時代初期から踊られている古いしきたりの踊りです。ただし、太鼓をたたくのは、奄美大島では女性、徳之島では男性というところが違います。



土手につないである闘牛
土手につないである闘牛
土手につないである闘牛と青年たち
牛の公園(伊仙町八重竿)
案内板(伊仙町八重竿)


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